世界遺産「日光の社寺」といえば、「日光東照宮」を思い浮かべる方が多いと思います。しかし「日光の社寺」とは東照宮だけではなく、「二社一寺」といい、二つの神社と一つのお寺をあわせて構成されています。この記事ではその中の唯一のお寺である「日光山輪王寺」についてご紹介します。
輪王寺のはじまり
- 起源は奈良時代:輪王寺のはじまりは奈良時代に遡ります。勝道上人という僧が日光開山にやってきて、ここを信仰の場にしていこうと四本龍寺というお堂を建てたことがはじまりと言われています。輪王寺という呼称がついたのは江戸時代と言われていますが、輪王寺という名前の建物があるわけではなく、日光にある様々なお堂、支院をあわせた総称を輪王寺といいます。
- 神仏習合という信仰:鎌倉時代になると日本古来の神を敬う信仰に、大陸から伝わった仏教が結び付き、「神仏習合」という信仰が根付いてきました。これにより日光の三山・三神・三仏を同一とみなす考え方が整いました。また、このころに皇族出身の住職が誕生し、全国でも数少ない門跡寺院となりました。江戸時代には徳川家の指南役でもある天海大僧正が住職となり、輪王寺宮が誕生するなど、発展していきました。
- 神仏分離令:江戸時代にさらなる発展を遂げた輪王寺でしたが、明治維新により発令された「神仏分離令」により、それまでの神仏習合の考えが禁じられてしまいました。廃仏毀釈により、失われたものもありましたが、仏教建築のものは輪王寺に、神社建築のものは東照宮と二荒山神社にまとめられ今の二社一寺の姿となりました。
三仏堂
- 日光山本堂:さて輪王寺はいくつかの建物の総称であるという話をしましたが、その本堂にあたる建物が三仏堂になります。名前の通り、千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音の3体の仏様をご本尊としてお祀りしています。これら3体の仏様は日光三山である、男体山、女峰山、太郎三の神様の本体でありそれぞれを、お父さん、お母さん、子供と親子に例えた家内安全のお堂としても有名です。
- 東日本一の木造建築:現在の三仏堂は江戸時代に三代将軍の家光公によって建てられたものと言われていますが、その大きさは、幅33メートル、奥行25メートル、高さ26メートルと東日本で最大の木造建築のお寺です。中の仏様も高さ約7.5メートルで座っている木造の仏さまの中では日本最大級の大きさです。
- 鬼門除け大祈願:輪王寺は檀家がおらず、御祈願のみを専門に行っている、祈願寺です。中でも鬼門除けの御祈願は大変有名で、毎朝輪王寺住職によって祈願された、鬼門除けの御札は参拝の印としても大変有名です。日本の中心を富士山と考えたときに、富士山から見て北東の方角(鬼門の方角)にあたる日光は日本の鬼門として古くから鬼門封じのご祈祷が行われていたそうです。家康公自身もこの方角はとても重要な場所になるということから、東照宮を日光に建てることによって日本の鬼門を守る守り神になろうとしたことも、東照宮が日光にできた理由の一つともいわれています。
大猷院
- 三代将軍家光公霊廟:輪王寺の支院の一つに三代将軍の家光公をお祀りした大猷院という霊廟があります。家光公は祖父である家康公に対し尊敬の念が強く、亡くなった後も東照大権現にお仕えしたいということで東照宮のすぐ近くに自分の霊廟を造らせました。境内のつくりとしては東照宮と似ている部分はありますが、家康公は超えないようにということで全体としては東照宮よりも小さく造らせたそうです。しかし東照宮よりも後にできた建物なので技術自体はより優れた技術が使われたといわれています。また、お寺の建物は通常南向きに造られますが、家康公への思慕の念をあらわし、方角を無視して建物が東照宮のほうを向いて造られているのが特徴です。
- 進むごとに仏様へ近づく:大猷院の境内はいくつかの門をくぐって本殿までたどり着きます。門をくぐるごとに仏様のくらいがあがっていき、まるで人間の世界から仏様の世界までの導線を表しているような体験ができます。特に二つ目の二天門は東照宮でいう陽明門にあたるシンボル的門でちょうど境内の中腹にあることから色彩が三段に分かれています。これによって上から見ても下から見ても綺麗に見えます。仏様の世界を体験できるような不思議体験をし、たどり着く本殿「金閣殿」は圧巻です。
- 破魔矢発祥の仏様:三つ目の夜叉門の裏面には体の青い「ウマロキャ」という仏様がいます。両手にもっている弓矢が現在お正月などに受ける破魔矢の発祥といわれています。本殿内ではこのウマロキャ様がもつ破魔矢をモチーフにしたご利益を受けることもできるので険しい階段の登頂の御印にもお勧めです。
信仰の中心
- 日光参拝の中心:上記の2か所以外にも日光を歩いていると様々な輪王寺の建物に出会います。それぞれのお堂にそれぞれのご利益があり、古くから山岳信仰の聖地として多くの人が訪れてきた日光において常に信仰の中心にあったのが輪王寺であると考えます。家康公自身も信仰をしていたものの、生前参拝することが叶わなかったこの輪王寺にて、ぜひ皆様も大切な方を思い、祈りを捧げてみてください。