日光二荒山神社の歴史
日光二荒山神社はその歴史の深さと神聖な雰囲気で知られています。以下に、神社の歴史や由来、ご利益について詳しく説明します。
1.創建と歴史
- 奈良時代の起源:二荒山神社の歴史は奈良時代まで遡ります。日光開山の勝道上人が奈良時代末に男体山の山頂に祠(奥宮)を建て、これが創建の始まりとされています。
- 日光三山の神聖な信仰:日光には日光三山とよばれる男体山、女峰山、太郎山という山があります。それぞれに大己貴命(おおなむちのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)の親子三神をお祀りし、日光の氏神様として現在でも世界遺産の観光地としてだけでなく地元の人たちからも信仰の厚い神社となっております。
- 社殿の建立: 勝道上人は男体山の奥宮だけでなく、中禅寺湖の湖畔に中宮祠、大谷川の近くに本宮神社を建立し、これらが日光二荒山神社を形成しました。
- 現在の社殿:現在の本社は世界遺産日光東照宮から西に300メートルほどの場所にあり、本殿は2代将軍の徳川秀忠により建てられたものです。社殿だけではなく、日光連山や中禅寺湖、華厳の滝、重要文化財の神橋なども含めてその広さは約3400ヘクタールになり、伊勢神宮に次いで日本で二番目の広さとなっております。
2. 名前の由来
- 補陀落山から二荒山へ: 二荒山の名前は、観音浄土を表す補陀落山(ふだらくさん)が訛って「二荒山」と呼ばれるようになったとされています。後に、空海が日光を訪れ、二荒を「にこう」と読み、大日如来の光明を感じて「日光」という地名になりました。
- その他諸説あり:二荒山の由来については伝承を出ない部分もあり、男体山と女峰山の二神が現れたという二神二現(にあらわれ)山の説や男体山から荒ぶる風が二回吹いたという説など様々な逸話があります。
3. ご利益
- 縁結びの神様: 二荒山神社のご利益は、特に縁結びに関連しています。主祭神である大己貴命は縁結びの神様とされ、男女の縁だけでなく、友情、お金、仕事などのご縁にも恵まれると信じられています。本殿でお参りするだけではなく、縁結びに関する授与品をお迎えすることができたり、縁結びのご神木で自分の縁を固く結ぶなど良縁のパワースポットとしても人気です。
- 神様が集まる神苑エリア:二荒山神社本社境内内にある神苑には日枝神社、大国殿、朋友神社の末社があります。日枝神社は健康の神様である大山咋命をお祀りしています。大国殿は福を招く大己貴命を、朋友神社には医療・知恵の神様の少名彦名命を祀り縁結び以外のご利益を授かることもできます。
- 神前結婚式: 縁結びの神社として、神前結婚式も行われており、多くの人々に人気があります。
4. 神橋
- 世界遺産の玄関口:日光東照宮近くにある本社や中宮祠等の社殿だけではなく、日光の世界遺産の玄関口でもある神橋も日光二荒山神社の建造物となっております。寛永13年の東照宮の大造営の際に現在の朱塗りの橋になり、明治時代に洪水により一度は流されてしまいましたがその後復興し、現在は重要文化財として多くの観光客の方々をお迎えしてくれています。
- 山菅の蛇橋: 重要文化財である神橋は、奈良時代に勝道上人が大谷川を渡るために祈ったところ、深沙大王が現れ、蛇を放ち背中から山菅が生え橋になったという伝説があります。この伝説から別名が山菅の蛇橋ともよばれています。
- 四季折々の美しさ: 秋の紅葉や冬の雪、春夏の緑と調和した景色は絶景で、日光の自然と文化の融合を堪能できます。
5. 未来への祈り
- 歴史の継承: 二荒山神社は長い歴史を持ち、山岳信仰の聖地から縁結びや招福の神社へと変遷してきました。未来への祈りとして、今でも多くの参拝者を引き寄せています。
- 世界遺産エリアの最古: 日光の世界遺産エリアの中で最も古い歴史を有する二荒山神社は、その神聖な存在を敬い、日光の歴史と文化に深く根ざしています。